西郷隆盛は、時代を変革するには欠かせないジョーカーだった[歴史街道2018.2月号]

2018/2/1

明治維新の傑物とされ、同時代から現在に至るまで、数多くの人達に慕われている西郷隆盛。しかし、西郷の行動原理や心中は、一筋縄では捉えがたい。マーケティングの第一人者として、長年、コンサルティングを行ってきた神田昌典氏は、どのように分析するか。

 

生涯ブレなかった西郷隆盛の軸

幕末維新期に行われた、時代を変える大勝負を、トランプのポーカーゲームに例えるなら、エースやキングは大久保利通や木戸孝允、もしくは坂本龍馬といった面々になるでしょう。

では西郷隆盛は何か。 私は”ジョーカー”だったのではないか、と考えています。他の手札との組み合わせ方によって、どんなカードにもなる存在です。

ジョーカー

ちなみに龍馬は西郷のことを、「少したたけば少しく響き、大きくたたけば大きく響く」と評しています。

 

西郷という人物の解釈は、非常に難しい。というのは元治元年(一八六四)の第一次長州征伐では幕府軍の参謀となりながら、慶応四年(一八六八)の戊辰戦争では新政府軍の東征大総督府下参謀として旧幕府と敵対し、さらに明治十年(一八七七)の西南戦争では新政府に対して反乱を起こす、というように立場が一貫していないように見えるからです。

言い方は悪いかもしれませんが、西郷は、周囲の人たちによって、都合よく利用されていたところがあります。まさに、「切り札」として使われていました。

では、西郷に「軸」がなかったかと言えば、まったくそんなことありません。時代の変革を推し進めて行く点において、一切ブレることがありませんでした。

時代を変えるためであれば、敵も味方も関係なく付き合うし、ヒーローにも悪にもなる。自らの立場に拘泥することがない。それが西郷のすごさです。

出会ったすべての人に愛されたとも言われていますが、その点で、はむしろ扱いづらい人物だったように思えます。だからこそ、島津久光に疎まれて、島流しにされたりもしたのでしょう。

 

目的のためには犠牲も厭わなかった。

今の日本で、西郷と同じく”ジョーカー”である人物を挙げるとすれば、堀江貴文氏ではないでしょうか。

西郷と同様、堀江氏も常に時代の変革を推し進めようとしていて、社会的な影響力も大きい。その影響力を利用しようと、周りに集まってくる人も多い。

狭い牢の中で、読書と瞑想の日々を送った経験があることも共通していますし、決して清廉潔白なわけではないところも似ています。

西郷は、しばしば聖人君子のように言われますが、実際には、そうでありませんでした。

例えば、徳川側を挑発して挙兵させ、倒幕の大義名分を得るため、江戸市中に放火させるなどしています。

負けるとわかっていたはずなのに、西南戦争を起こしたことも、人命を尊重した行動だとは言えません。西郷は、不平士族の反乱を終わらせるため、あえて戦って、負けて見せたのではないかとも思えてしまいます。

もし西南戦争が起こっていなければ、長期にわたって各地で反乱が起こり続けて、日本の国力は弱り、諸外国の干渉を受けていたかもしれません。そうならないように、西郷は、自らの命も投げ出し、多くの犠牲を覚悟して、あえて挙兵したようにも思えるのです。

トランプ1

もちろん、新しい世の中についていけず、社会的弱者になってしまっていた士族たちの不満に共感したのも事実だったでしょう。

ジョーカーのカードに描かれているのは、道化師です。道化師は、社会の階層の頂点から最底辺まで、自由に行き来します。西郷も、相手がどの階層の人であろうと関係なく、共感することができました。

そもそも氏族が生きにくい世の中を作ったのは、西郷たちです。西郷は、自分たちが作った新しい世の中が生んだ歪みの始末を、自らつけたとも言えます。

 

西郷は、なぜ慕われているのか

では清廉潔白ではなかったにも関わらず、多くの人が西郷を慕うのはなぜなのか。

一つは、無私の人だったからでしょう。

西郷がしばしば揮毫した「敬天愛人」という言葉の「敬天」とは、自分の運命を天に委ねるということ。つまり、天の視点という大局から見て、為すべきことを為す。言わば「天の代理人」として生きるということです。自分の立場や利害を顧みることはありませんでした。

敬天愛人

そして、「愛人」というように、敵対する相手であっても、時代を推し進めるための共闘関係にある、という捉え方をしていました。どちらかが絶対的に正しいという見方をしません。 清濁併せ呑む度量があったとも言えるでしょう。

例えば、戊辰戦争で敵対した庄内藩士たちは、新政府軍に投降した際、切腹を覚悟しました。ところが西郷は、軽い処分で済ませます。

そのことに感激した庄内藩士が「南洲翁遺訓」をまとめます。そうした経緯でできた本ですから、「南洲翁遺訓」は、本当に西郷が話したことを書き記したというよりは、 西郷に仮託して、日本人の美徳を述べている部分が多いのではないかと、私は思っています。

このように、敵味方を分け隔てしない態度が、聖人君子のような西郷像が作られていった背景にあるのではないのでしょうか。

見る人によって、いかにようにも解釈できる。これもジョーカーの特徴です。

敵を赦すことを美徳とする考え方は、古くから日本にあるようですが、西郷はその大いなる体現者でした。その西郷の精神は、その後の日本人にも強い影響を与えているように思います。

第二次世界大戦で日本を焦土と化したアメリカを日本人が赦したのも、西郷の精神を受け継いだからではないか、とさえ思います。

結局、西郷とは何者だったのか。これは、端的に答えることが非常に難しい問いです。ただ、「天のの代理人として生きた、意思の強いジョーカーだった」と言うことはできる。私は、そう思います。

歴史街道201802

歴史街道2018年2月号より



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