大組織を結びつける「ファシリテーター型ビジネスリーダー」[歴史街道2017.12月号]

2017/12/1

短期間のうちに、各勢力のキーパーソンを結びつけ、明治維新への道筋をつけた坂本龍馬。 そんな「大事業」を成し遂げられたのは、なぜだったのか。マーケティングの第一人者が、「ビジネス」の視点から分析する。

優れたROI、ROL感覚

肖像写真などの坂本龍馬は、腰に刀を差して、いかにも武士らしく見えます。しかし、龍馬は本質的には商人であったと、私は思います。他の武士たちと違い、ビジネスを通して、時代を改革したのが龍馬でした。

実際、龍馬の生家は、酒造や質屋などを営む豪商・才谷屋の分家でした。下級武士である「郷士」の家でもありましたが、その身分はお金で買ったものです。

龍馬自身がビジネスを始めるのは慶応元年(1865)に亀山社中を結成してからのこと。

その活動を見ると、竜馬が ROI( リターン・オン・インベストメント)の感覚に優れていたことがわかります。ROI とは、「投資した資本に対して、どれだけの利益が得られたか」を示す指標です。

亀山社中の結成に当たって、龍馬は、薩摩藩をはじめとする諸藩や豪商たちから資金を得ています。そして、その資本を最大限に活用しているのです。

まず、海運業を行って利益を上げます。しかも、船荷として武器を扱うことで、事実上の海軍としても機能しました。

さらに亀山社中を使って、薩長同盟まで成立させました。亀山社中が、薩摩藩の名義で軍艦と武器を購入し、それを長州藩に売却するというビジネスを成立させることで、両藩を仲介したのです。

ROIROL

また、龍馬は、優れた ROL(リターン・オン・ラック)の感覚も持っていました。

ROLは、「 ヴィジョナリー・カンパニー」などの著書で知られる、元スタンフォード大学経営大学院教授で経営コンサルタントのジム・コリンズ氏が提唱した概念です。「運の利益率」とも呼ばれ、「不運に見舞われた時、そこから幸運を引き出せるか」「幸運が訪れた時、次のステージへと「一気呵成に進めるか」を示す指標です。

コリンズ氏の研究によって、成長のスピードが速い企業と遅い企業の違いは、ROLにあるということがわかっています。幸運や不運が訪れる頻度は、どんな企業でも同じ。問題は、それを活かせるかどうかとなるわけです。

龍馬の ROL の感覚が遺憾なく発揮された極端な例が、「いろは丸事件」です。

慶応三年(一八六七)四月二十三日、亀山社中から名前を改めたばかりの海援隊が、イギリス蒸気船「いろは丸」をチャーターし、讃岐国の箱ノ崎と六島の間を航行していたところ、紀州藩の船「明光丸」と衝突。いろは丸が沈没しました。

桂浜

紀州藩は御三家の一つである大藩ですから、普通なら、莫大な損失を抱えて泣き寝入りをしてしまうところかもしれません。

ところが龍馬は、国際法を翻訳した「万国公法」を持ち出したり、土佐の後藤象二郎を引っ張り出したりして、紀州藩を相手に損害賠償を求める交渉を行います。そして遂に、八万三千五百二十六両百九十八文を手に入れました。これは、現在の価値にして十億円とも二十億円ともいわれています。

竜馬は、まさに危機をチャンスに変えてしまったのです。

 

資金が充実し、出資者たちの束縛を受けなくなったことによって、龍馬はさらに自由な発想でビジネスができるようになったのではないでしょうか。いずれの勢力にも囚らわれなかったからこそ、船中八策も生まれたのだと思います。

 

十年以上かけて築いた人脈

竜馬が自らのミッション(使命)を自覚したのは、ペリーが浦賀に来航した嘉永六年(一八五三)です。一九歳でした。

剣術修行で江戸に出ていた龍馬は、黒船警備のため、土佐藩士の一員として駆り出されます。そして、黒船を目の当たりにして、「国を守る」という大義に目覚めたのです。

それからビジネスを立ち上げるまで、十年以上の歳月が過ぎています。その間、龍馬は何をしていたのか。

それは、人脈の構築です。土佐藩という枠を超えて、日本中の人たち、さらには外国人とも交流しました。ビジネスを立ち上げてすぐに急成長させることができ、また、薩長同盟などの成果を上げられたのは、幅広い人脈があったからです。

人脈を広げる上で、江戸の千葉定吉道場の塾頭になっていたことも、役に立ちました。江戸三大道場の一つ、練兵館の塾頭には桂小五郎がなっていましたから、剣術を通じて面識を持ったのでしょう。後に桂は、長州藩の代表として、薩長同盟を結ぶ当事者となります。

江戸三大道場の著名な出身者達

しかし、それよりも大きかったのは、大義を上げ、それに基づいたビッグアイディアを語っていたことではないでしょうか。それが、多くの人を惹きつけたのではないかと思います。

龍馬のプレゼンテーション能力が非常に高かったことは、疑いありません。何しろ、対立する薩摩藩と長州藩を説得して同盟を組ませたり、船中八策を後藤象二郎に提案して土佐藩を動かし、大政奉還を実現させたりしているわけですから。

当時の藩が国に近いことを考えれば、これらは都道府県や大企業にプレゼンをして、共同事業を立ち上げることよりも難しいことでしょう。

マーケティング3.0型の社会起業家

龍馬を今の言葉で表現すれば「ビッグアイディアを実現するファシリテーター型のビジネスリーダー」ということになるでしょう。

ファシリテーターとは、会議などで、自分の意見を通すのではなく、出席者たちの意見を促したり、まとめたりして、議論を進める役割を担う人間のことです。

龍馬は、新国家のビジョンをプレゼンし、その実現のために奔走して、個性あるリーダーたちをまとめあげました。しかし、その新国家の政府のメンバーに、自分の名前を入れていません。ファシリテーターに徹しているわけです。

それは、政治の世界ではなく、ビジネスの世界で生きていこうと思っていたからではないでしょうか。「世界の海援隊」を率いて、世界中の国々と取引をするつもりだったのでしょう。

大義を胸に抱き、世界のあるべき姿を考えながらビジネスを行う姿勢は、アメリカの経済学者フィリップ・コトラー氏のいう「マーケティング3.0」を思わせます。

マーケティング30

簡単に言えば、会社視点のマーケティングが「マーケティング1.0」です。その次の段階が、顧客視点の「マーケティング2.0」。「マーケティング3.0」は、さらに次の段階のマーケティングであり、現在、トレンドになっているものです。

わかりやすいのは、社会起業家たちです。彼らは、少人数で会社を立ち上げ、環境や社会などについて、あるべき姿思い描き、それを実現する手段をビジネス化しています。

龍馬は、今、時代の最先端を行っている、「マーケティング3.0型の社会起業家」であるといっても、間違いではないでしょう。

それにしても驚くべきは、薩長同盟が結ばれた時、龍馬は三十二歳の若さだったということです。

薩摩藩の小松帯刀は、龍馬と同い年。長州の桂小五郎は、二歳年上。

三十代前半の若者たちが、藩の命運を左右する決定をしていたのです。

時代が違うとはいえ、現代に生きる私たち、ビジネスパーソンも、龍馬のようにビックアイデアを持って生きるべきです。そして、自社の中だけで仕事をするのではなく、広く社外にネットワークを築き、社会のために、大きな組織同士を結び付けるビジネスを展開していくべきではないでしょうか。

歴史街道2017年12月



MAIL MAGAZINE・SNS
メルマガ・ソーシャルメディア


メルマガ一覧を見る