 |
 |
  |
| ―――-2006年、サッカー日本代表は三大会連続でW杯へ出場します。川淵キャプテンは、Jリーグ設立の立役者であると同時に、選手時代には日本代表としてもプレーをされています。昔と今を比べると、隔世の感があるのではないのでしょうか。 |
 |
| 川渕氏 |
最近講演で、むかしの日本サッカー界の話をすると、若い人はビックリするんだよね。我ながら15年間でこんなに変わるとは予想もしていなかったしね。世界的に見ても稀有な例だと思う。
僕が1960年に日本代表チームのメンバーとしてヨーロッパに遠征したときには、向こうの代表チームとは試合をさせてもらえませんでした。クラブチームやアマチュアチームが相手で、そこにも勝てない。トルペド・モスクワという当時ソ連でいちばん強かったクラブと対戦したときには、0対8で負けたんだけど、前半が0対6で、後半が0対2。何で後半が2点の失点だけで済んだかというと、向こうの選手が「これ以上点を入れたらかわいそうだ」と思って、わざとゴールをはずしてくれたらしいんだよね(笑)。
70年代も80年代も状況はあまり変わらなくて、W杯予選どころか、アマチュアだけで戦うオリンピック予選にも勝てない。人気も全然なくて、代表チームの試合でさえも、スタンドは空席ばかりだった。
|
 |
| ―――そんなW杯にも出場できない状況下で、日本サッカーの強化案としてプロ化構想を掲げられました。当時としてはかなり荒唐無稽な試みだった? |
 |
| 川渕氏 |
そうだね。当時考えていたのは、日本のサッカーが世界の檜舞台で活躍できるようになるには、現状ではダメだと。突破口を開くには、従来の企業スポーツから、地域に根ざしたクラブスポーツへと、仕組みを変えていかなくてはいけないと思ったんです。
プロ化を検討するようになる15年前あたりから、小中学校の体育にサッカーが正式に取り入れられたり「キャプテン翼」(高橋陽一著)というマンガが子供たちの間で大人気になったこともあって、サッカーの底辺そのものは広がっていました。その広がりを、人気スポーツにまで高めていく仕掛けが必要だった。
サッカーの特徴は、インターナショナルなところにあります。プロ野球は国内のリーグでの勝ち負けだけで盛り上がるけど、サッカーは世界で、特にアジアで勝たない限り意味がない。昔は「国内だけで商売が成立するなんて、プロ野球はうらやましいな」と思っていたけど、ある時期から「そうじゃないな」と気がついた。サッカーは、世界中でいちばん愛されているスポーツだ。日本人も人間なのだから、人気に火がつく可能性は必ずあるはずだと。
|
|
| ―――当時、地域にサッカーは根付きつつあるものの、世界というのは遠い存在でしたよね。高校サッカーまでは人気があっても、そこで終わりという感じで、世界との関係が切断されていた。それが、Jリーグ、つまりプロ化によって企業スポーツからサッカーが切り離されました。 |
|
| 川渕氏 |
Jリーグができたことで、「世界に羽ばたく」という夢が見えてきたんだよね。選手もファンも、子供たちにもね。Jリーグが広く受け入れられた理由は、「この道は世界につながっているんだ」という夢をみんながもてたことが大きいんじゃないかな。 |
|
| ―――そして、97年にW杯初出場を決めました。Jリーグ発足当初は、W杯が起爆剤となって、Jリーグ人気が高まったように思います。2006年はワールドカップ・イヤー。川淵キャプテンは、これをどう起爆剤として、どんなビジョンを描いておられますか。 |
|
| 川渕氏 |
たしかにW杯は、日本のサッカーファンが熱狂するキラーコンテンツであることは否定しません。でも、僕はそもそもW杯を起爆剤にしようとは考えていません。予選で負ける事だってあるわけだから、そんなものを当てにはできない。
やはりやるべきはスポーツ好き、サッカー好きの子どもをどう育てていくか、優れた指導者を同育てていくかという底辺作りです。それなくしては、将来の日本のサッカーの発展はありえません。
|
|
 |
 |
| ―――同じプロ・スポーツでも、国内の市場を相手にしたビジネスモデルであるプロ野球と、地域に根ざし、しかも世界へと開かれているサッカーとでは、立脚点が異なるわけですよね。 |
|
| 川渕氏 |
Jリーグは、プロ野球のマネをしても成功するわけがないと思っていました。当初、イメージとしてあったのは、ヨーロッパのクラブ組織。地域の人々から愛されている地元密着のクラブチームがあって、そのクラブが設置した施設で、地域の人々がスポーツを楽しむ。そういう環境が日本にあったらどんなにいいだろうと、ずっと夢見てきました。 |
|
| ―――しかし、それは今だからこそ説得力があるわけですが、川淵キャプテンが89年にJSL(日本サッカーリーグ)の総務主事としてプロ検討委員会の設立を評議委員会に提案したときには、反対が続出したんですよね。 |
|
| 川渕氏 |
数人を除いて、あとは全部反対。特に読売が「プロ野球ですら赤字球団ばかりなのに、サッカーがプロで成功するわけがない」と声高に言うものだから、みんな黙っちゃってね。
やはり、評議委員会で話を進めていくのは無理だと。評議委員というのは、JSLに参加している各社の役員クラスばかりで構成されています。現場を運営している部長クラスだと、サッカーの愛好者が多くて理解があるんだけど、評議委員はサッカーを十分知っているわけじゃないんだよね。
それで僕は、JSLの上部団体にあたる日本サッカー協会の理事になっていたので、この案件をJSLから切り離して、日本サッカー協会の中でプロ検討委員会を作って討議することにしたんだよね。あの時もし、JSLの中でプロ化を進めようとしていたら、多分失敗していただろうね。
|
|
| ―――一般企業でも「大きな改革をするときには、ゲリラ的な組織を設けるといい」といわれています。そこがポイントですよね。もうひとつのポイントは、検討委員会での検討は短期間で終了させて、すぐに設立準備に入られたことです。検討委員会とはいっても、実際にはプロ化を前提として作業を進めて行った。プロ検討委員会を発足して約一年後に、参加意思確認書を作成して配布。そうしたら、20チームからの参加申し込みが得られたそうですね。 |
|
| 川渕氏 |
あの時はね、おそらく6チームから8チームかなと。4チームだとプロ化は難しいなと話していたの。ところが20チームも来たから、「これはしめた」というわけだよね。 |
|
―――でも、評議会では、ほぼ是認に反対されていたわけですよね。根まわしはどの程度やったんですか。
|
|
| 川渕氏 |
根まわしなんて、全然やってないよ。「こういう条件ですが、プロ化に参加しますか」という文書を出しただけ。20チームも集まったのは、当時はバブルで、どこも経済的には余裕があったし、「乗り遅れてはいけない」という気持ちが強かったんじゃないかな。
プロ化しても、企業の負担が急に大きくなるということはないはずだったんですよ。JSLの時代でも、少ないチームで年間1億円、チームによっては7〜8億円の予算を使っていたところもあったからね。最初の試算では、選手の年棒や管理運営費などの年間5億円の支出分を、入場料収入とスポンサー企業からの拠出でまかなうというものだったから、決して大それた計画ではなかった。だからどのチームも比較的、参加しやすかったと思うんだよね。まあ実際には、Jリーグ発足初年度で、いきなり一チーム当たりの平均収入が25億円というビッグビジネスになったわけだけど・・・・。
|
|
 |
|
|
―――Jリーグ設立決定から発足までは、マスコミ報道もあってJリーグ熱が高まっていきました。
|
|
| 川渕氏 |
マスコミの影響は大きかったね。参加申込みのあった20チームを14チームに絞り込む作業をしていたんだけど、「どこのチームが選ばれそうだ」という報道を毎日のようにしてくれたわけ。するとどこのチームも、入りたい一心になってくるんだよね。「なんで、うちのチームの名前が出てこないんだ」という連絡がきたりね。 |
|
|
―――お願いする側から、選ぶ側に回った。主導権が変わった瞬間ですね。
|
|
| 川渕氏 |
これが仮に、参加が6チームぐらいしかなかったとするでしょう。そうすると、主導権はチーム側にあるわけだから、Jリーグの参加資格としていた「1万5千人以上を収容できるスタジアム施設を確保すること」とか「下部組織を持つこと」といった条件をどんどん下げなくてはいけなかったと思うんだよね。もしそうなっていたら、Jリーグは発足しても成功していなかっただろうね。
逆に言うとね、多くのビジネスでは、お客さんがほしいから、最初に設定したハードルをすぐに下げてしまう。でも「イヤなら参加しなくてもいいですよ」というぐらいの気持ちで、ギリギリまで踏ん張らないとダメだよね。
|
 |
| ―――発足後の話を聞きたいのですが、どんな事業でも、はじめのうちは業績がよくても、途中からお客さんが離れてしまうことがありますよね。Jリーグが紆余曲折を経ながらもファンからの支持を得ているのは、やはり地域密着というのが大きいのでしょうか。 |
|
| 川渕氏 |
地域密着といっても、当初は企業に支えられたクラブが中心だった。でも、新潟や仙台や大分など後発のほうが、地元密着の理念を具現化したクラブが増えてきたよね。
自分の町にJリーグのクラブができると、地域全体の連帯感が生まれてくる。熱狂的な地元ファンが多い鹿島アントラーズなんて、その代表例だよね。その姿を他の自治体も見ているから、「うちにもクラブが欲しい」となる。この前うちが調査したところでは、将来Jリーグのクラブを持ちたいと考えている自治体が40くらいあることがわかっている。10年後には、もっと全国の各地にクラブ数が増えている可能性がある。地域活性化に貢献できているというのは、それは僕らがいちばん誇らしく思うことだよね。
|
 |
| ―――安定経営をしているクラブが多いのも、地元密着が成功しているという面で大きいのでしょうか。 |
|
| 川渕氏 |
全国区でないと成り立たないようなクラブは、Jリーグにはいらない。根本的な考え方として、身のたけにあった経営というのをずっと言ってきているわけですよ。入場料収入とテレビ放映権料、それにスポンサーからの支援で年間20億円の収入があったら、J1でもそれでやっていけるクラブでいいんだよね。だから、プロ野球チームのように、収入以上の年棒を選手に払って、それで赤字に苦しむようなことは、Jリーグにはありえません。
Jリーグの各クラブも、もっと地元密着の努力をして欲しい。例えば浦和レッズが、一般市民むけの「レッズランド」という総合スポーツ施設を作りました。そういうのが、クラブのあり方としていちばん望ましい方向なわけですよ。クラブは地域のスポーツ文化の振興に貢献し、それが地域の人々の賛同を得て、「おらがクラブ」と思って応援してくれることにつながる。
でも、まだまだ、Jリーグの各クラブは努力が足りない。これからですよ。クラブが地域に根付くのは。
|
 |
 |
|
1936年、大阪府生まれ。早稲田大学在学中から日本代表として活躍。ローマ・オリンピック予選、FIFAワールドカップ・チリ大会予選、東京オリンピックなどに出場した。80年には日本代表監督を務め、88年、Jリーグの前身である日本サッカーリーグ主事、JFA理事に就任。91年より日本プロサッカーリーグ主事、JFA理事に就任。91年より日本プロサッカーリーグ理事長(チェアマン)、これと平行して94年から日本サッカー協会JFA副会長を務めた。2002年、JFA会長(キャプテン)に就任。
|
|
| |
|
 |
|
|
Jリーグの軌跡は、企業の成長物語に似ている。
導入期の企業は、ヒット商品を掴み、ブームを追い風にして組織を成長させる。ヒット商品はマスコミが勝手に宣伝してくれるため、通常の1割か2割の顧客獲得コストで集客できるので、莫大な収益が得られる。
発足当初のJリーグも同様だった。本文には収録できなかったが、対談のなかで川淵キャプテンは、「マスコミの報道は、100億円ではきかない広告宣伝費を払っただけの値打ちがあった」と語っていた。
だが、ブームには必ず終わりが訪れる。Jリーグも1997年、1試合当たりの平均観客動員数が約1万人と、94年の半分近くまで激減した。
さて、個々が分岐点となる。多くの企業は、ブームが去った後、新たなヒット商品や顧客を獲得で傷に衰退していく。
だがJリーグは違った。1試合当たりの平均観客動員数は、再び上昇カーブを描きつつある。なぜか。
おそらく読者の多くは、日本代表のW杯予選がキラーコンテンツとなったと考えているのではないだろうか。
しかし、それは正解ではない。
世の中でJリーグブームが湧き起こっているとき、Jリーグ自身は、それを推進力として利用しながらも、一方で着実に地域密着を根付かせていたたからだ。大切なのは、ブームの渦中にあるときに、次の布石が打てているかどうかなのだ。
私は浦和に住んでいるので、浦和レッズの取組みに注目している。浦和のレッズは、「レッズランド」という市民むけの総合スポーツ施設を開設した。また地元に住んでいる人を優先的にスタジアムに招待するなど、顧客をファン化する試みを行っている。おそらく他のクラブも、同様の努力を続けていることだろう。こうしてファンという永続的なブランドを獲得した事業体は、強い。
私が川淵キャプテンの存在の大きさを感じるのは、こうした「地域密着」という理念を歪ませることなく、当時としては荒唐無稽とも思われたプロ化をどうやって実現したのか、知りたかったからだ。
対談の中でも述べているように、ポイントは2つある。
ひとつは、JSLではなく、上部組織である日本サッカー協会でプロ検討委員会を設けたこと。成熟した組織の中で改革を進めるには、既得権益者の手が届かない外部にゲリラチームを作るしかない。
もうひとつは、「参加意思確認書」という文書を作成して、やや強引とも言える手法でプロ化を「検討段階」から「準備段階」へと進めてしまったことだ。
文書が作られたことで、チームは参加するか否かの選択を迫られた。多くのチームは、最初は「乗り遅れてはいけない」という程度の気持ちで参加意思を表明したのかもしれない。
しかし、20チームもの参加希望者が出た時点で、力関係が逆転した。各チームは、「参加してほしい」と頼まれる側から、「参加したい」と頼む立場になったのだ。
人の心理はおもしろいもので、当初は「参加しておこうか」という程度の気持ちでも、募集定員以上に希望者が集まったと単に、「是非選ばれたい!という思いに変わるものだ。選ばれるためには、川淵キャプテンの示す理念に同調するしかなかったわけだ。
川淵キャプテンが強力なリーダーシップを持ってプロ化を推し進められたのは、繰り返すが「地域密着」という揺るがない理念を持っていたからだ。
川淵キャプテンは、「最初に設定したハードルは、ギリギリまで下げてはダメだ」と話しているが、もし地域密着(=顧客密着)という理念を取り下げていたら、仮にJリーグが発足していたとしても、ブームに呑み込まれて消え去っていただろう。
川淵キャプテンの姿勢は、Jリーグ発足前から現在まで、まったくぶれていない。まさに地域の活性化こそが、W杯3大会連続出場という奇跡を生んだといっても過言ではないだろう。
『THE 21』2006年1月号/PHP研究所
「川淵三郎の「スポーツ・ビジネス論」に神田昌典が迫る!
※無断転載を禁止いたします。
この文章は、PHP研究所様のご好意により、記事中テキストのみを掲載させていただいております。
|